一生懸命にやること

今年の7月にタレントで放送作家の永六輔氏が惜しまれながら亡くなりました。生前、歯に衣着せぬコメントで人気を博し、最近では多くの方を感動させる名言を残したことが取りざたされています。先週ある番組で紹介されていた名言に次のようなものがありました。「出世話や身近な人の良い報告など他人を羨ましく思ったり、妬んでしまったりすることはよくあるはず。一生懸命に打ち込めることがあれば、他人なんか目に入らない!」 とかく人は自分と人を比較しながら優越感に浸ったり、落ち込んだりすることの本質を突いた言葉だと思いました。

ただこの言葉で私が感じたのは一生懸命の定義が何なのかということでした。

一生懸命が誰のためなのか?つまり自分だけのため、周りのことは考えず儲かりたい、出世したいだけの一心だけだとやはり自分より儲かった人の話、自分より出世する同僚の話を聞いたり目にしたりすることで妬んだり心が出てくるんではないでしょうか。

 

その一生懸命することが自分が喜べる、周りも喜び更にそれが自分の役割、使命に沿ったものであれば他人を羨んだり、妬んだりする心が他人を応援したくなる心に変わり、自分もやはり喜べる心に変わる。それが誰の心にもあり、それが一番楽なのです。